ねじろのいまとこれから

シェアアトリエ「キノコファクトリーのねじろ」無料見学期間中です。
開店時間に余裕があれば、作業していかれてもOK!

ねじろの細かいことは、下記ウェブサイトをぜひチェックしてください。

https://kinocofactory.work/workshop.html

あす20日(土)はわたくし所用のためおりませんが、日曜日は朝から晩までがっつりおりますので、きのこを見たら是非ともお声がけください。
「きのこを見たら」というか、入るやいなや否応なしにきのこを見ることになる部屋のサイズ感なんですけど。

今はさすがに目の前のことで手一杯ではありますが、先を大きく見てやっていきたいこととしましては、やはり「就労先」になることです。
それも、就労支援施設としてではなく、一般就労先として。
業務はお店番で、お店番中はご自身の好きな創作をしてていただくという方向で、かなり安い賃金にはなると思いますが、少なくとも最低賃金は保証できるところまではいきたいです。

今、就労ということがらは、グレーゾーン者や軽度障害を持つ方にあまりやさしくないのが現状です。
各種の制度はあってもなんとなく使いづらい空気が漂っていたりします。
会社としては理解ある制度を打ち出していても、同僚や直属の上司に理解してもらえなかったり、実質のけものみたいにされて。
そんなことよくあります。
それで結局、本気で全く動けなくなるまでは体や心をギシギシさせながら動かないと、生活できないわけじゃないですか。
「お墨付き」を貰えるだけの苦しみまで落ちないと、だれも助けてくれない。

そんでぶっ潰れてから、みんな言うんですよ。
「そんなにきつかったんなら、もっと早くSOSを出してくれれば……」って。
だけど、SOSを出させない・SOSを出そうという気にさせない(SOSをある種の悪と考えさせる)圧力みたいなものって、あるんですよね、現状。

で、私は、確かめたいわけです。
企業さん、そして健康的に働ける人々が、そうした「SOSを出させない空気」みたいなものの打破につながる活動を「できるけどやってない」のか、「できないからやってない」のか。

できないからやってないなら、それはしょうがない。

でも、コロナを通して、「あ、みんな、できないできない言ってたけどそうじゃなかった、できるけどやってなかったんだな」って思うこと、いっぱいありました。

わからないんじゃなくて、わかろうとしてない。
できないんじゃなくて、ややこしいしめんどくさい。
「自分は別に困ってない」。
「わからないので現状維持」。

社会にケンカ売るつもりはないけど、ぜひとも、打破したいね。

このアトリエをなんとしてでもうまく経営回して、たとえば画材に詳しい人なら画材マイスターとして働いてほしいし、料理がうまい人なら持ち寄りパーティのコックさんやってほしいし、算数が得意な人には経理をやってもらって、それらに対してちゃんとお賃金を出せる場所になりたい。

特技をつぶして苦手をがまんするのが美徳なんてのを、いつまでもいつまでもやってたら、だめだ。

で、私ぐらいの程度の発達障害者であれば特段「障害」にはあたらない(それは障害名がつかないという意味ではなく、本人も周りも障害を感じないということ)世界になれば、私の中では大成功。

綺麗事はガンガン言っていくスタンスです。

やるよ〜。

たぶん。

また。