「シェアアトリエ&ギャラリー キノコファクトリーのねじろ」には、大きく分けてふたつの顔があります。

ひとつの顔は、豊富な画材をオトクに試せて、無料~安価で気楽に展示ができる、便利で楽しいシェアアトリエ&ギャラリー。

そしてもうひとつの顔は、「医療でも福祉でもない、『よりそい』の場」。

そんな思いを詰め込んで、2021年2月、このアトリエは始まりました。

店主のキノコファクトリー(高野温子)には、発達障害があります。注意欠陥多動性障害です。
それがわかったのも30を過ぎてからと遅く、たくさんの人に迷惑をかけながら生きてきました。

私は、昔から絵を描くことが大好きでした。
でもおとなになり、みんなが社会人として当たり前に出来ていることが何も出来ない自分を目の当たりにしたとき、「こんなに人に迷惑ばかりをかけているのに、絵なんて描いてちゃいけない。こんな道楽に興じていてはダメだ」と感じました。

それでも、チラシの裏や不要紙にらくがきをしては、それらを全部自宅の壁に貼っていました。それらは決して「作品」と呼べるレベルのものではありませんでしたが、私にとっては、誰にも言えない心の内の吐露であり、絵は私の声そのものでもありました。

このとき私はひとりぼっちで、絵を描いても誰にも見せる先がありませんでした。
絵を描くことに罪悪感もありました。プロになれる力もないのに道楽で描いていることは、よくないことだと思っていました。
今思うと、「誰かに気づいてほしい」という感情があったように思います。

時は流れて、ひょんなことから熊本に移住した私は、いろいろあった結果よく合うお医者先生に出会って、時間はかかりましたが随分と調子が良くなりました。
夫も私も障害年金を受給し、障害者手帳を交付してもらって、短時間のバイトをしながら細々と暮らしておりました。

少し余裕が出来た瞳で世界を見てみたら、あちらこちらに、かつての私のように自己表現に罪悪感を伴っていたり、生活苦でそれどころではなかったり、そうやって苦しんでいるひとたちの姿が目に入ってきました。

自分自身にも目がゆきました。
「障害年金を受給してる身だし、絵もプロになれるほどうまいわけではないから、派手なことはせず、目立たず粛々と生きなければ」と考えている自分に気づきました。

「違うよな」と思いました。
当事者である自分がこのように考えていたら、世界はずっとこのまま変わらない、と。

「障害年金をもらっているから」とか、「障害があるから」という理由で、本来の自分よりもおとなしく振る舞うのはやめよう。と思いました。

だから私は、「私が一番しんどかったときにほしかったもの」を作ることにしました。
それが、「福祉でも医療でもなく、ただ寄り添ってくれる人がいる場」でした。
そして私は絵が好きだから、絵を描く場所がいい。できれば、「すこし困っている人々」を対象に寛容な就労先として機能する場がいい。

そう決めて、一週間ぐらいで計画を練って、日本政策金融公庫へ資金を借りに行きました。
2020年12月頃のことです。
100万円も貸してくれました。

不動産屋さんを何軒か回ったら、いい部屋を貸してくれる業者さんがいました。

画材は、手元にいっぱいありました。

そして2021年2月、あっという間に、キノコファクトリーのねじろは開きました。

私がよく使う言い回しで、「すきまのひとびと」というものがあります。
これは勝手に私が作った言い回しで、貧困や家族の無理解などのせいで病院に行けず診断を得られなかったり、軽度の障害・疾病、グレーゾーン、パッと見で分かりづらい内部の障害・疾病などで苦しみを理解してもらいづらく、しんどさを軽く見られてしまったり公的支援などがギリギリもらえないなど、不自由があるのに一般水準でがんばることを強いられている人々のことを指しています。

そうした「すきまのひとびと」の苦しみは、まわりにいる人間が少しだけ寛容になることで、ある程度緩和できると思うのです。

キノコファクトリーのねじろは、「えらい人の救済」ではなく「ただの寛容な隣人」であり続けることにこだわっています。
死にたい人を救うのではなく、死にたくなる前に寄り添う。これがテーマです。

障害があろうとなかろうと、多くの人が等身大で楽しめる場を目指します。

……という小難しい話もありますが、「施設規模のわりに異様に画材が充実している謎のぽっと出シェアアトリエ&ギャラリー」と思って頂いといたら間違いないと思います。

キノコファクトリー 高野温子