ねじろ半年ふりかえり

ねじろがとりあえずオープンしてから、半年が経とうとしております。
私自身の振り返りも兼ねて、これまでの経緯や思いなどをまとめてみたいと思います。

そもそも「シェアアトリエ」という構想に至ったのは、かなり最近のことです。
去年の10月くらいに思いついたと記憶しております。

それを本気にして走り出したのが確か11月か12月。そこから日本政策金融公庫へ行って創業資金を融資していただき、物件の鍵をお借りしたのが2月1日と、超スピードで進みました。

それまでもやりたいことはあったものの、もっとフワッとしたものでした。
大きなテーマとしてぼんやりと頭にあったのは、「人それぞれが持つ得手不得手の偏りを、無理なくそのまま活かして生活が出来る社会づくりをしたい」というものでありました。

たとえば絵を描くことが得意なのであれば、もっともっと周りがそれを認め、役割分担を細かくすることで需要を故意に生み出し、人々の「得意分野、無理なくできることをメインに仕事をする」を、できうる限り当たり前にしたい。

しかし、学もなく大したスキルもなく、発達障害持ちで障害年金を受給してなんとか口に糊しているような私が、具体的には何が出来るのか。
それをずっと考えていて、そしてやっと出てきた案が「シェアアトリエ」だったわけです。

私は、お絵かきが好きです。
そして私の性格としていわゆる芸術家っぽい気難しい気質があまり強くなく、それよりもむしろ、やや受動的かつ打たれ弱い面はあるが基本的に陽気で、不器用なために遅れ馳せではあるものの近年そこそこの社交性が育ってきており、接客に向く性質が昔よりも顕著になってきていました。

そのあたりを自分自身とよく相談した結果、「この業態なら、細々と成功させてモデルケースとなり、何かを変えるきっかけにできるかもしれない」と考えました。

ただ「シェアアトリエはじめました〜来てね〜」でお客さんを呼んでも意味がありません。
これまでは「知られると不利になる」と考えられ、原則伏せて生活することを余儀なくされていた発達障害(私の場合ADHD)・障害年金の受給、こうしたことがらを完全にオープンにしたうえでの成功でなくては意味を成さないのです。

成功したあとに後出しで「実はADHDなんです」とやってしまうと、「発達障害=天才肌、鬼才、すごい才能」のようなまちがったイメージがさらに横行する恐れがあります。
そうなれば、日々、細かなズレや真綿で首を絞められるような生きづらさと戦いながら粛々と生きている発達障害持ちの人々の苦しさが伝わらず、周りとしてはからっぽの称賛だけ与えて「理解した」つもりになってしまい、当事者が本当に必要としている支援を受けにくくなる可能性が考えられます。

本当に見てもらわなければならないものを見てもらえなくなること、気づいてもらわなくてはならないことに気づいてもらえないこと。
成功したすがただけが映し出されることによって起こりうるこのことがらを、私は非常に強く懸念しています。

ですから、「今はまだ支援が必要な身である」という、起業者としては甘ったれた考えを叩かれる覚悟も持って、よいこともいやなことも、楽しいこともつらいことも、うまくいったことも失敗したことも、関係者さまにご迷惑をかけない範囲で途中経過をなるべく詳しくリアルタイムで公開していく必要があると考えました。

これにより、前述の「学もなく大したスキルもなく、発達障害持ちで障害年金を受給してなんとか口に糊している」という状態を持っている私がやるからこそ、このプロジェクトは意味を為すのだ。という屁理屈を言えるようになりました。

この半年で価格も変わったり、画材販売始めたり、なんだりかんだりやっております。
とっても楽しいです。
私を認めてくれるひとびとがいるから、売上はとてつもなくイマイチですがかなり楽しくやれています。

そろそろ第二段階として、「お商売としてまともな体裁を整える」というところを気にする必要が出てきました。
自然な流れでここまでたどり着けたことをたいへんうれしく思います。

半年でつぶれた〜とかになんなくてよかったよね〜。

まともな経営者だったら痛手にならないうちに潰しとくような売上だけどね!

ええねんええねん。
バイトも見つかったから。

ええねんええねん。

あかんて。

また。

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