ねじろでsyrup16gを流せるようになった

なにかと悪名高いJASRACですが、店舗にてBGMとしての利用の場合、うちの面積であれば利用料は年額6000円と、意外とリーズナブル。

私は、syrup16gをかけたい。
みんなの自作曲もかけたいが、syrup16gもかけたい。

できれば合法的にかけたい。

というわけでさきほど6600円(税込)を振り込みまして、合法的にsyrup16gをかけられるようになりました。

ちゃんとステッカーも来ましたよ。

これで、罪悪感なく「毎月16日はBGMがひたすらsyrup16g」を実現できます。

HELL-SEEは初回盤だからおまけのライブ音源ももってるし、「リアル/うお座」「I・N・M/ハミングバード」のシングル盤もあるぞ!!!

ねじろ経由で私を知った方はご存じないかもしれないのですが、私はsyrup16gというサイコーのスリーピースロックバンドの大ファンで、出会いの頃は高校生までさかのぼるのです。

わたくしはですね、「自分は今心を痛めている」ということを人に言えないのはもちろん、自分ですら気づけない人間だったんですよ。
自分を表現する言葉として、「悩みがないのが悩み」「健康優良児」あたりが口癖でしたね。

そこにたまたま滑り込んできたのが、syrup16gの音楽ですよ。

ネガティブな感情を人に見せることに対して非常に強いタブー意識を持ち、「ばかだけれども愛嬌があり、いつもにこにこしている」ことだけが自分の存在意義であると信じていた私にとり、この出会いがいかほどに衝撃的であったことか。

自分の内にずっとあった不定形の真っ黒い影たちが、まるで代弁者を得て気が強くなったかのようににょきにょきと顔を出し、けれどもそこには絶望ではなく希望がありました。
「言っていいんだ、音楽ならこんなにかっこよく昇華できるんだ」と。

正直、当時さほど音楽に精通しているわけではありませんでした。洋楽等にはとんと疎かった。
ですから、ぶっちゃけると最初の入りに関しては、シロップの音楽的な魅力というよりも歌詞に対する衝撃から入っていたのは否めません。私が歌詞聴きを否定しない理由はそこです。

でも、そこからいっしょうけんめいにギターを稽古して、拙いながら多少だけ耳コピができるようになって、私はシロップの曲をいっぱい弾きました。それはそれはたくさん弾いてうたいました。特に、悲しくなったときにはやけくそでいっぱい歌いました。

人生のところどころで起きる不遇に、半分落ちながらもなんとか耐えて生きてきたのは、もとを辿ればsyrup16gとの出会い、「つらいって思っていいんだ」という気付きがあったからこそ。
それがなかったらと思うと、ゾッとします。どっかでボキッと折れてたと思いますね。

私も、誰かにとって「つらいという感情は悪ではない」「もう、無理に『大丈夫です、元気です』って言わなくてよい」「ネガティブな感情もこんなにかっこよく昇華するすべがあり、音楽だけでなくさまざまな表現として、それは可能だ」ということを伝えていけたらいいなと、そう思ってるんですよ。

で、私が何より好きなのは、syrup16gは死にきれなかったんですよ。
カート・コバーンと違って、死にきれなかった。復活して、うにゃうにゃ〜って活動してる。

そこがもう、好きなんですよ。
まだ伝説じゃない、ただただ人間であるのが、それがもう、いいんですよ。

syrup16gはいいぞ。

聴いてくださいね。CDありますから。

また。