インタビューしてもらった。

ケン・サスガさんのブログ「MINORITY RECORDS」さんにて、ねじろのインタビュー記事を掲載していただきました。

当該記事はこちら

【インタビュー】「創作の居場所と支援を」キノコファクトリーが寄り添う創作の思い | MYNORITY RECORDS

2021年から始まったインタビュー企画の記念すべき第1回は熊本市やオンラインで活動されている芸術家の「キノコファクトリー」さんです。熊本市に「キノコファクトリーのね…

本当、ありがたいことですよねえ。

この中で、ちょっと自分なりに掘り下げたい話があって。
「未成熟を恥じる必要はない、途中でいい」みたいなところなんですけど。

そもそも「完成」ってなんだろうなと思ったときに、それって多分、イコール「死」なんですよ。
死んでしまって無に帰する日まで、我々は途中であり続けると思うんですね。

どんな巨匠であろうとも、生きているときにつくった以上、すべての作品は「途中」だと思うんです。
完成した時、芸術は死ぬ。

私が、あらゆる作品に対して「完成度」を求めない理由がこれです。
完成っていうのは、それ以上進まず、止まることです。それは死ぬことです。死んだ芸術を私は好みません。

途中でいいんですよ。

展示とか、人前に作品を出すのってね、あくまで人生の過程を見せるものだと思うんですよね。
「私は今ここにいる」を見せるのが、展示なんだと思うんです。

完成したもの、もうこれ以上なにも変化しないもの、それを見たいなら死んだ昔の画家さんの絵だけ見てればいいんです。

「生きてる」「変わっていく」「伸びていく、あるいは衰えていく」という、生きている人間の最大のメリット「変化」を、今生かさないでいつ生かすんですかって話なんですよ。
死んでからじゃ、遅いんですよ。
ものを作る人間は、生命そのもので描かないとだめなんですよ。

たとえば「まだ下手」でためらってるなら、なんだったらその今がすごいチャンスなんですよね。
もう上手くなっちゃった人は、「まだ下手」から「上手くなるまで」をリアルタイムに人々にお届けすることは、もう二度とできませんよ。
その否が応でもほとばしる「今後の可能性」が、どれだけ貴重か。

完成度だけが芸術じゃない。
私みたいなもんもいますから。大丈夫。
やりたいことには、ぜひとも挑戦してみてください。

そんなかんじ。

ねじろもよろしく。

また。