ねじろのちらし/やっぱり私はあほだなという話

ちらし 住所隠し

住所は、物件の契約が2月1日からなので、それまでは一部ふせさせてくださいね。

コロナが落ち着いてくれれば、準備しているさまも見に来れるようにしたいんですけれど、今のところそれに関しては、やるとしても「長居は無用」のスタンスになってしまうかなあ。
窓が大きいので風通しはいいですけど、「準備を見に行く」となると、それこそ不要不急ですからね。

まあまあ、のんびり考えましょう〜。

こういった、大人の書類とかが必要な準備に取り組んでみて思ったのですが、やはり私は何というか……アホですね。かしこさがないです。

学校の勉強という意味でもアホですが、いわゆる「地頭がいい」というようなのも、一切ないですねえ。
ただただ、アホです。要領が悪い、あるいは幼稚、というやつですね。
読解力だけ、ぎりぎり、並程度でしょうかね。

まわりの人より、成長が10年くらい遅れてるような気がしてる。

ただ、私は自分自身のそういうところ、嫌いにはなれないんですよね。こうやって堂々と書くだけあって。
昔は自分のこういう部分まじで憎んでましたけれども、今はまあ、アホなりにそこそこよくやってるんじゃないですかね。

かしこい人のように、難しい本をたくさん読んだりは出来ないですけれど、ちょっと外に出て散歩して色んなもの見て回るのだって、勉強ですからね。
自分が店やるとなると、そんな散歩の通りがかりに「あっ、このお店はこんな外装をやってる、これ素敵だな」「わあ、こんな葉っぱみたいなお店にしたいな」なんて目に入るようになったり、気付きみたいなものが増えて、結構なことです。

今まで目にも入らずに通り過ぎていたものたちが、がぜん、生きた教科書として輝いてきます。

やっぱり、何事も自分でやってみるものですね。

だからこそ、創作において「ハイレベルな人だけを残す」というやり方ではなく、どんな在り方であってもよいので、ものをつくるひとを増やす(裾野を広げる)ことが、文化の活性化につながると私は考えるんですね。
自分でやると、できないことが生まれます。すると、まわりの作品が見たくなります。「ここはどうやるんだろう? みんなどうやってるんだろう?」って、絶対に勉強したくなりますもの。

そうやって回していかないと、だれも食っていけないよ。
食っていけない文化じゃ、廃れてしまうよ。

でね、一本で食っていくとかそこまでじゃない人が「いやあ、私なんかは趣味レベルなんで……」って言って出しゃばらないようにしたりとか、私はそんなことしなくていいと思うんです。
もしも「アマチュアがでしゃばるな」と言うプロがいるなら、アマチュアを下げるんじゃなくて、アナタがもっと、アマチュアにはとても手が届かないぐらいがんばればいいんじゃないのって話なので。

全員出しゃばればいいと思う。
縦とか横とか斜めとか、方向は無限ですから。

「それなら、ちょっとやってみようかな……」って思う人を増やすことが、当面の私のミッションかな。
なんて思っています。

まあ、せいぜい、がんばります。

ばいぶー。