シェアアトリエに「キノコイン制度」を導入しようかと思いついた話

さっき思いついたので、まだ、法的に問題ないのかとかもっと具体的なやり方とか詰めていかないといけないんですけど。

※「シェアアトリエ」というのは、下記ブログを参照いただけるとだいたい何をやろうとしているのかお伝えできると思います。

共有アトリエ計画、準備など公開することにします – キノコラム

ここ最近これの話しかしてないですね。 誰の参考になるねんって話なんですけど、私がやろうとしていること、そのために今やっていること、必要なものなどなど、順次、隠さ…

このシェアアトリエ計画は、基本的に「私自身が一番しんどかったときに、もしこういう場所があったら、あそこまで苦しまんで済んだかもしれん」という感情をベースにして組み立てられています。

いっちばんしんどかった時、とにかく金なかったんですよねえ。
金が私の心を蝕んでいた、という部分、ある。

私だって金金言いたくなかったけど、「金が無い! この先ほそぼそとでも食っていける保証もない!」っていう焦燥感って、ほんとにしんどいんですよね。
仕事に行こうにも、仕事にいくためのたった数百円の交通費が、出せないんですよ。それを出したら今日の晩飯食えなくなるから。給料を現金として引き出せるのはずっとあとですし。

そして今の私は、精神状態はものすごくよいんですけれど、そういった人をもれなくじゅうぶんに責任持って助けられるほどの金があるかって言うと、これがねえ、相変わらずそんなには無いんですよ。
お茶の一本や二本ぐらいはおごれますけれども、生活の立て直しを全部世話してあげることとかは、無理。

共倒れが一番目も当てられないですからね、身の丈以上のボランティア精神は絶対、よくない。
でもだからといって、そういう方がいるのをわかってて見て見ぬ振りはこれまた、嫌じゃないですか。

そこでね、日本にけっこう古くからあって、山梨県などでは今も根付いているという「無尽」なる文化にちょっとアイデアをいただきまして。

「ひとさまの力を頼ろう」と。
本当は、人を頼るの、めちゃくちゃ苦手なんですけれども。
背に腹は変えられません。

まず、「下記の行いに同意でき、かつ多少のゆとりがある人」が、お財布に余裕のあるときに、1枚100円の「キノコイン」を好きなだけ買っていただきます。1枚から購入できます。毎月積み立てとかではなくて、「余裕がある時に都度購入」です。

キノコインとは、キノコファクトリーのねじろ内でだけ使える通貨であって、木工で遊んだあとの端材や、ウッドバーニングに使おうと思って買ったけど結局余ってしまった木などでつくる、木のコインです。

ご購入いただいたキノコインは、キノコイン専用の「胞子BOX」に貯めていきます。
同時に、キノコインを買っていただいたときの本物のお金すなわち売上金も、私の方できちんと帳簿をつけて、つかわずに確保をしておきます。

胞子BOXは透明なキャニスターみたいなものを使って、今どれだけのキノコインがあるか目視できるようにします。
また、システム的に可能であれば、ネットを使って、今ねじろに何枚の(あるいは何円分の)キノコインが貯まっているのか、リアルタイムでいつでも見えるようにしたいです。

そして、もしもキノコファクトリーのねじろに「本当はつくるのが好きなんだけれども、もうどうしようもなく生活に困り果てていて、つくるどころじゃない人」がご来店になったなら、その困り果てている人には事情を言っていただいて、貯まってあるキノコインを取り出して、たとえば5枚つかって施設を利用したり、1枚でうちにおいてあるペットボトル飲料などを購入したりできるというものです。

これを、生活に困ってる証拠とかはいっさい要らない形で、ただただ「正直に事情を話してもらう」という条件のみで、そのひとの自己申告を信じて回したいと考えています。

「かつてはキノコインを買うだけの余裕があったが、今は生活に困っている」という方も当然使えます。
もっと言えば、私が使うこともあるかもしれません。ねじろの存続があぶなくなったときは、私も使わせていただくことになると思います。

キノコインは、遠方の方でも、ネット上で購入できるようにしたいです。
ご購入いただくたびに、胞子BOX(物理)にキノコインが貯まっていきます。

そして、キノコインを使う人には「これが誰からのカンパなのか」がわからないシステムにして、困っている人が「その人に頭が上がらず、いたたまれない」と感じることのないようにしたいのです。

この運用で懸念されるのは「制度の悪用」だと思うんですけど、万が一悪用されたところで、できる悪さって「嘘の苦境申告をして、タダでものすごくいっぱいお絵描きする」ぐらいのことなんですよ。
現金置いておくわけじゃなくて、実際に置いてあるのはただの木切れなんで、うちの中でしか悪さできないんです。
だから、経営に差し障るほどの壊滅的な打撃って、受けようがない気がするんですよね。

たまにいる悪いやつのせいで、本当に困っている人まで「疑わしきは切れ」の犠牲になっている現状がありますから、あくまでも様子を見ながらではありますが、しばらくは「信じる」を前提とした運用をしてみたいです。

あとね、「今日のメシも危うい」っていう状況になるまでほったらかしとくの、もうやめようぜっていう意図も含まれています。
大好きなものづくりができなくなるほどしんどいのは、それはもはや健康的な状態ではないんだから、もうその時点で誰かに助けてもらいましょうよ、そんで周りの人もそれをけっして責めなさんな、明日は我が身ぞ、寛容は回り回って自分の明日を守ることになるんぞ、っていう方向性でものを考えています。

「それでもつくりたい」という気持ちがまだ残ってる段階で、人、頼りましょ。

っていう制度、どうかなあ?

まあ、「どうかなあ」って言ってる時点でもうやるんですけどね、誰に何言われても。

あとは法律上問題がないか調べるのと、ネット上のほうのシステム探したり考えたりするだけよ。

私はね、聞く耳持たんのよ。
あと、「過去の自分が救われるためには」で物事を行っているので、いい人そうに見えても全然いい人ではなく、あくまでも過去の自分自身の供養です。

ぴい。ぴい。ぷう。

ぽよぽよ〜!

また。